悲しみ Sadness
- Manish Nukii
- 2016年3月4日
- 読了時間: 4分

ほんとうの愛は
いつも悲しみをもたらす。
それは避けがたい ―
なぜなら、愛はあなたの
真実の姿への新たな扉と
なりうる空間をつくり出すからだ。
愛は薄明の状況をもたらす。
愛の瞬間、
あなたは何が偽りで
何が真実なのかを
見ることができる。
愛の瞬間、
あなたは何に意味があり、
何に意味がないのかを
見ることができる。
それと同時に
自分が無意味なものに
根ざしているものを見る ―
だから、悲しくなる。
愛の瞬間、
あなたは自分の究極の
可能性に気がつき、
最も遠い頂きに気づくが、
自分はそこにはいない ―
だから、悲しくなる。
あなたはかいま見るが、
それは一瞥に過ぎず、
またたく間に
それは去ってしまう。
それは、まるで夢の中で
神が自分に語りかけたのに、
目を覚ましたらそれを見失って
しまったようなものだ。
何かが起こってたことは
わかっているのだが、
それは現実のものには
なっていない。
それは吹き過ぎる
そよ風のようなものだった。
愛が悲しみを
つくり出さないとしたら、
それは愛ではないのだと知りなさい。
愛は悲しみを
つくり出さずにおかない ―
愛が大きければ大きいほど、
それから起こってくる
悲しみもまた大きい。
愛は神への扉を開け放つ。
二つのハートは近くに、
ごく近くに寄るが、
そのまさに近さの中に、
彼らは分離を見る ―
それが、あの悲しみだ。
遠く離れているときは
それほどはっきりと
見ることはできない。
あなたは自分たちが別々で
あることを知っている。
だが、相手とひとつで
あることを望み、
それにあこがれ、
それに大きな情熱を抱き、
どんどん近くに寄っていくと、
ごくごく近くにいるのに、
それを越えていくことが
できないような、
そこで行き詰ってしまうような
瞬間がやってくる ―
突然、あなたは悲しくなる。
目的地はすぐ近くにあるのに、
そこまで、行き着くことはできない。
それを自らの永遠の
リアリティにしたいのだったら、
愛そのものでは充分ではない ―
そのときには祈りが必要になる。
愛はあなたをこの必要に目覚めさせる ―
祈りへと進んでいかない限り、
愛はさらに多くの悲しみを
つくり出すだろう・・・。
では、どうしたらいいのか?
愛における悲しみを
祈りへの巡礼の旅にしなさい。
この悲しみの経験を
深みにおける瞑想にしなさい。
まずあなたはエゴを
自らの内なる存在の中で
溶かし去らねばならない。
それを他の人の中で
溶かし去ることはできない。
それは戻ってくるだろう。
ほんのつかのま、
あなたは忘却の状態を
つくり出すことができるだけだ。
だが、忘却は溶かし去ることはできない。
あなたは溶け去っていない。
あなたがそこにいて、
待ち構えている。
麻薬が切れてしまえば、エゴがまた
あなたをわしづかみにする。
エゴは忘れるのではなく、
溶かし去らねばならない。
それが愛の悲しみだ。
愛においてエゴは
忘れ去られるだけであり、
それもほんのつかのまのことだ。
それはまた戻ってくる。
それも復讐とともに戻ってくる。
だから恋人たちはいつも
ひっきりなしにけんかをしている。
エゴはさらにもっと強固になり、
結晶化してしまう・・・。
あといくつかのこと・・・。
愛がもたらす悲しみには
大きな可能性があり、
それはきわめて深く、
いたって健全であり、
大きな助けになってくれる。
それはあなたを神へと導く。
だから、否定的に取らないで
それを使いなさい。
愛の中で感じられる悲しみ、
それは大いなる祝福だ。
それはただあなたのあこがれが
愛の容積を越えており、
あなたのあこがれが究極なるものに
あることを示している。
愛はあなたにつかのまの満足を
与えることができるが、
永遠の充足を与えることはできない。
愛がつかのまの満足を
与えてくれたことに感謝し、
愛が自分の内側にある
とてつもな悲しみに
気づかせてくれたことに
感謝しなさい。
だから、美しい愛の瞬間の中で
悲しみを感じたことは祝福だ。
そのヒントを受け取りなさい。
そのメッセージを理解しなさい。
あなたの無意識は、
いまや内側を向くべきときだ、
というメッセージを送ってきた。
恋人はあなたの中に棲んでいる。
恋人は外側にいない。
恋人は
あなたのまさに、
ハートの中に
生きている。
神より他には、
どのような愛も、
どのような恋人も、
あなたを
満足させることが
できない ―
だから、悲しい。
OSHO「英知の辞典」より
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