瞑想と観照の関係
- Manish Nukii
- 2016年2月29日
- 読了時間: 4分

人間の生活は四つの円に分割できる。
最初の円は活動のそれ、
行為の世界だ。
それは最も外側にある。
ちょっと内側に進むと、
私たちは思考の世界へとやってくる。
もう少し内側に進むと、
感情、献身、愛の世界へとやってくる。
さらに内側に進むと、
中心に到達する ―
観照の世界だ。
観照は私たちの本性だ。
なぜなら、
それを越えていくすべはないからだ。
かつてそうした者はいないし、
できる者も誰ひとりいない。
観照者の観照者になるのは不可能だ。
観照者は単に観照者だ。
それより深く行けない。
それは私たちの土台だ。
私たちの家は観照という土台の上に
建てられていて ―
感情や思考や活動からできている。
これが三つのヨーガが存在する理由だ。
カルマ・ヨーガ、
ギャン・ヨーガ、
バクティ・ヨーガ ―
行動、知識、献身のヨーガだ。
瞑想には三つの技法がある。
それら三つを通して、
観照に至る努力を行うことができる。
行動のヨーガとは、
行動プラス瞑想という意味だ。
カルマ・ヨーガとは、
行為から直接、観照へと進むための努力だ。
瞑想はそのプロセスであり、
観照がゴールだ。
あなたは尋ねている、
「瞑想と観照の関係とは何ですか?」。
瞑想とは道であり、観照とは到着地だ。
観照は瞑想の頂点だ。
そして、瞑想は観照の始まりだ。
カルマ・ヨーガとは、
行為に瞑想を加える者、
活動の世界に瞑想を結びつける者のこと ―
つまり、活動プラス瞑想だ。
そして、ギャン・ヨーガとは、
思考に瞑想を加える者だ。
彼は思考の世界と瞑想を結びつける。
彼は瞑想的に考え始める。
新しい実践がひとつ加わる ―
何をするにせよ、
気づきを持って行うということだ。
思考プラス瞑想の状態が整うとき、
観照へと向かう旅は始まる。
瞑想とは方向転換だ。
瞑想が加わったものは何であれ、
観照へ向かう乗り物となる。
そして三つ目の道はバクティ・ヨーガ ―
感情に瞑想を加えること、
瞑想と感情の深い結合、
瞑想と感情の融合だ。
だから、感じるときは、
瞑想的になりなさい。
これら三つの道を通して
人は観照に近づくことができる。
ただし、あなたを連れて行く技法は
瞑想であり、瞑想が基本だ。
それはちょうど医者が薬を与えるときに
蜂蜜と一緒に摂りなさいと言うのに似ている。
するとあなたは、自分は蜂蜜を食べない、
ジャイナ教だからと言う。
彼は、それなら、牛乳と一緒に摂りなさいと言う。
牛乳は血の一種だから自分は飲めない、
自分は厳格なクウェーカー信徒だからと言う ―
あなたは牛乳を飲まない、
それは肉を食べるようなものだ。
すると医者は、水と一緒に摂りなさいと言う。
しかし薬は同じだ。
蜂蜜か、牛乳か、水かは重要ではない。
それらは薬を飲み込むのを助け、
喉を通すだけのものだ。
薬だけでは飲み下せない。
瞑想は薬だ。
世界には三種類の人々がいる。
ある人たちは行為なしでは生きられない。
彼らの人生の流れのすべて、
働くことの中にある。
静かに坐ろうとしても、彼らにはできない。
何かしらすることが必要だ。
そこにはエネルギーが、
あふれんばかりのエネルギーがある。
害は何もない。だが、師は言う、
瞑想という薬を活動と共に飲み込みなさい、と。
行為はやめられないが、
行為に瞑想を加えることならできる。
あなたは言う、「何かせずには、
一瞬たりともじっとしていられません。
ただ、もうできないんです。
じっとしているなんて無理です。
自分の本性ではないんですから」
師は言う、
「よろしい。行動に乗って行うがいい。
これをあなたの馬にしなさい。
あなたの薬をこれに混ぜて飲み込みなさい。
肝心なのは薬だ。
瞑想的に働きはじめなさい。
何をするにせよ、
無意識にしてはいけない。
気づきを持ってやりなさい。
行為をしている間に、目覚めていなさい」
そして、行為には何の魅力を感じないが
波のように思考が殺到してくるという人がいる。
彼らは思索家たちだ ―
行為に必要な活力は持ち合わせていない。
彼らは外界に何の関心も持たないが、
内側にたいへんな波が、大嵐が生じている。
そして、考えずには一瞬たりとも、
内側にいることができない。
「静かに坐っていると、もっと思いが生じます。
普段よりさらに思考がやって来ます。
ちょっと献身や祈り、瞑想に触れただけで、
思考の大洪水です ―
大群が次から次へと押し寄せて来て、
私たちを溺れさせます。
どうしたらいいのでしょう?」と彼らは言う。
師は言う、
「あなたの思考と一緒に、
瞑想を混ぜて飲み込みなさい。
考えを止めることはない。
ただし、思考がやってきたら、
それを観察しなさい。
それらの中で、迷わずに、ちょっと離れ、
距離を置きなさい。
穏やかに思考を見守れば、
次第に観照を達成するだろう。
あなたの思考に瞑想を加えなさい」
さらにこう言う人たちがいる。
「考えや行為に関しては問題ありません。
私たちは感情過多なのです。
涙があふれ、ハートが圧倒され、
溺れてしまいます ―
愛の中に、情愛、信頼、献身の中に」
師は言う、
「これをあなたの薬にしなさい。
それに瞑想を加えるのだ。
涙を流れさせなさい ―
瞑想で満たして流れさせなさい。
ときめきを、ときめくままにしておきなさい。
だが、瞑想で満たすのだ。
瞑想こそがその核心だ」
OSHO「エンライトメント」より
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