他人の意見 Others’ Opinions
- Manish Nukii
- 2016年3月6日
- 読了時間: 3分
自らの価値を知っているなら、
他人が自分のことをどう思うか、
彼らがあなたを受け容れるか
拒むかを心配する必要はない。
他人の受容と拒絶を心配しているなら、
それはあるひとつのことを示している -
それはあなたが自らの価値を
知らないということだ。
あなたは自らの本性を知らず、
自ら内に宿る神を知らず、
自分が神の住まいであることを知らない。
だからあなたは他人に
どう思われるかを心配している -
なぜなら、
他人の考え、他人の意見が
大きく物を言うからだ。
あなたの自我は
他人の意見に依存しているが、
あなたの本性は
誰にも依存していない。
そのために本性の人は
常に反逆者であるのに、
自我の中に住んでいる人は
社会と大きく
妥協しなければならない。
それはもし妥協しなかったら、
誰も彼の自我を満たしては
くれないからだ。
自我に他人の支持が必要であり、
それは他人の支えを必要としている。
他人から好まれれば好まれるほど、
あなたはさらによい、
もっと磨きのかかった、
さらに洗練された自我を
持つことができる。
人々がデール・カーネギーの
「友人獲得し、人々に影響を与える方法」や
ナポレオン・ヒルの本や、そのたぐいの本を
読むのはそのためだ。
世の中にはいかにして自我を磨きあげ、
それを飾り立てるかを教える、
無数のいわゆる哲学者たちがいる。
現代人のマインドはそのことに
自分が他人にどのように見えるか
ということに大きな関心を寄せている。
なぜだろう?
それは私たちが
自らの存在感をすっかり
失ってしまっているからだ。
もはや私たちが持っているのは
自我だけであり、
自我は他人の支持を必要としている。
もしあなたが彼らの期待を
満たさなかったら、
彼らはその支持を撤回してしまう。
彼らの期待をかなえればかなえるほど、
あなたはますます奴隷になってゆく。
彼らの望むがままのことを
あなたはする。
あなたは全く従順で、
ひっきりなしに妥協している。
自分がそれを好むかどうかなど
問題ではなく、
問題は他人が好むかどうかだ。
あなたは微笑む。
その微笑みは偽物かもしれないが、
それは大事なことではない ―
なぜなら、人々はそれを好むからだ。
あなたの微笑みが好ましいなら、
彼らはあなたを愛するだろう。
あなたを愛すれば、
彼らはあなたに注意を払い、
あなたを尊敬する。
彼らはあなたの<必要とされたい>
という必要を満たしてくれる。
これが私たちが「人生」と呼んでいる
プロセスのすべてだ。
このような生に
欲求不満が絶えないとしても、
それは少しも不思議なことではない。
自らの価値を知っていたら
どこに他人の受容や拒絶を
気にする必要があるだろう?
OSHO「英知の辞典」より

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