この存在全体がわが家だ
- Manish Nukii
- 2016年3月10日
- 読了時間: 3分

人はわが家を持たずに生まれ、 一生わが家を持たないまま、 わが家を持たずに死んでゆく。 この事実を受け容れることは、 計り知れない変容をもたらす。 そうなったら、あなたは もはやわが家を探し求めない ― わが家とは はるか彼方にあるもので、 自分以外の何かだからだ。 ところが、 誰もがわが家を探し求めている。 わが家が幻想であることを 見抜くとき、 あなたはわが家を探す代わりに わが家なしに生まれ、 わが家のないことが 自分の天命であるような 存在を探し始める。 わが家をつくりだす方法はない。 そして、 これこそ奇跡 ― わが家をつくる方法はないと 悟るとき、 そのときこそ、 この存在全体がわが家だ。 どこにいても、 あなたは 我が家にいる。 知性ある人は、 他者を支配することには興味はない。 その人の第一の興味は、 自分自身を知ることだ。 だから最高の質を持つ知性は 神秘主義に向かう。 一方、最も凡俗な知性は権力を追い求める。 その権力は、世俗的、政治的かも知れない、 あるいは、金を求めることかも知れない・・・。 大勢の人に対して スピリチャルな支配力を 持つことかもしれない。 だが、その根底にある衝動は いかにしてより多くの人を支配するか ということだ。 この衝動が生まれるのは、 あなたが自分を知らず、 しかも、自分が知らないということを <認め>たくないからだ。 あなたは 自分の存在のまさに中心に巣食っている 無知に気づくことを恐れている。 そして、 その暗黒から次のような方法で逃避する。 ― 金銭欲、権力欲、尊敬、名誉欲 ― しかも、内側に暗黒を持つ人は どのような破壊的なこともやってしまう。 そのような人に 創造性を望むのは不可能だ。 創造性はあなたが意識的であること、 もう少し覚醒していること、 光、愛を持つことによって もたらされるからだ。 創造性は いかなる意味でも他者を支配することに 興味はない ― 何のために? 他者は他者だ。 あなたは誰も支配したくない。 また、誰からも支配されたくない。 自由とは ほんの少し覚醒している 味わいそのものだ ― 自由とは あなたが開花することだ。 あなたの蓮華が 朝日に照らされて、 開くことだ。 そしてそれが起こらない限り、 充足、達成 ― わが家に帰ったときに感じる 平安を見出すことはできない。 人は誰であれ、 内側にわが家を 持っている。 あなたは どこに行く必要もない。 今いる場所にとどまり、 あるがままの自分でいるには 行くことを <やめ>なければならない。 ただ 在りなさい。 そして在ることの まったき静寂の中に 存在の神秘がすべて 隠されている。 わが家を探してはならない。 そんなものはひとつもないからだ。 自分自身を 探しなさい。 それは ひとつ在るからだ! OSHO
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