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マインドは決断を延ばそうとする策略だ

  • 執筆者の写真: Manish Nukii
    Manish Nukii
  • 2016年4月13日
  • 読了時間: 4分

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あなたは自分のまわりに

複雑なマインドを作り出している。

それであなたは、

聞いたことや与えられたことを

何でも複雑なものにしてしまう ―

より複雑なもの、より難しいものにしてしまう。

たとえば、私が「明け渡しなさい」と言えば、

あなたは「どうやって」と尋ねる。

また、「技法を使いなさい」と言えば、

「技法だって?技法は<道>に

反するのではないか」と尋ねる。

あるいは「技法は何もない。

ただ明け渡しなさい。そうすれば、

神はあなたに起こる」と言えば、

すぐさま「どうやって」と尋ねる。

これがあなたのマインドだ。

もし私が「<道>とはまさに今ここだ。

何も実践しなくていい。

ただひと飛びに明け渡しなさい」と言えば、

あなたは「どうやって、どうしたら

明け渡せるのか」と尋ねる。

そこで私が技法を与え、

その「どうやって」に答えようとすると、

あなたのマインドは言う、

「でも方法や技法というものは

スワバーヴァに、<道>に

反するではないか。

もし神性が私の本性であるなら

どうしてそれが技法を通じて

達成されるだろう。

もしそれが既に存在しているなら、

無益で無用だ。なぜ技法で時間を

無駄にするのか」・・・。

このマインドをごらん!

これこそマインドに

いつも起こっていることだ。

ごく簡単なことでも難しくしてしまう。

自分自身で難しくする。

そしてこれは一つの防御手段だ。

なぜなら困難なものにしてしまえば、

する必要がなくなるからだ。

つまり、まずその問題の解決が先であり、

実行は後回しにされる。

もし私が「明け渡しなさい」と言えば、

あなたは「どうやって」と尋ねる。

私がその「どうやって」に答えなければ、

どうして明け渡しができるだろう・・・。

また私が技法を与えたら、

あなたのマインドはすぐに新たな問題を作り出す。

「なぜ技法が必要なのか。

スワバーヴァが、<道>があるではないか。

神は私の内にある。

だとしたら、なぜそんな努力が必要なのか」。

このことに答えが与えられない限り、

何もする必要がない、というわけだ。

こういう悪循環は、

いつまでもいつまでも

続けていられる。

だから、

どこかでそれを断ち切り、

そこから出てくることだ。

決断を持って実行する。

というのも、あなたの人間性は

決断と共に生まれたからだ。

あなたが人間となったのは

決断があったからだ。

さあ決断することだ。

もし明け渡しができるなら、

明け渡す。

もしできなかったら、

哲学的な問いかけに走らず、

何らかの技法を実行する。

どちらの道を通っても、

きっと明け渡しは起こる。

いまこの瞬間、

明け渡せるのなら、

それでいい。

もしできなかったら、

技法を通っていく。

その訓練が必要だ。

それが必要なのは、

あなたのためだ。

そして技法はあなたを破壊する。

技法によって、あなたは死ぬ。

そして最奥の本性は進化する。

あなたに必要なのは、

完全に粉砕されることだ。

もしひと飛びに粉砕できるなら

明け渡すことだ。

もしできなかったら、

少しづつやる。

技法を通じて働きかける。

よく言っておくがマインドは

問題を作り出す。

それは策略だ ―

決断を延ばそうとする策略だ。

マインドが納得していなければ、

延ばしても後ろめたさを感じない。

「どうしようもないではないか。

隅から隅まではっきりしていない限り、

私になにができるだろう」。

マインドは

あなたのまわりに雲を作り出す。

そしてマインドは

決してはっきりさせない ―

あなたが決断しない限り。

決断と共に、雲は消える。

マインドはとても駆け引き上手だ。

マインドは政治的だ。

絶えずあなたをめぐって策を弄している。

マインドはとても狡猾で抜け目がない。

マインドというものは、

いつもこのように働く。

決してどちら側にもつかない。

というのも、

もしどちらかの側についたら、

何かするほかなくなるからだ。

だからどちら側にもつかずに、

ひたすら論議を続ける。

決して何も決定しない。

常に中途にいる。

何を言われようと、

すべて論議し、

決して決定には至らない。

論議というのは無限に継続できる ―

終りはない。

決断だけが行為をもたらす。

そして、行為だけが変容となる。

もし内側の革命に

関心を持っているなら、

決断することだ。

いつまでも延期してはいけない。

あまりに哲学的になってはいけない。

それは危険だ。

探求者にとって、それは危険だ。

もしあなたが、

本当に探求しているわけではなく、

ただ時を過ごしているだけなら、

それでもかまわない。

それはいいゲームだ。

余裕のある人間には、哲学もいい遊戯だ。

でも私の見るところ、

そんな余裕のある人間はいない。

なぜなら、それは時間の浪費だからだ。

だから

決断をする。

もし明け渡せるなら

明け渡す。

そうしたら、

もはや

「どうやって」はない。

また、

明け渡せなかったら、

何かの技法を

実践する。

技法によって初めて、

明け渡しの

起こる地点に

達する。

OSHO「ヴィギャン・バイラブ・タントラ

 存在とひとつに」より

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