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最も深い最も親密な関係

  • 執筆者の写真: Manish Nukii
    Manish Nukii
  • 2016年6月13日
  • 読了時間: 4分

 あなた方がいようがいまいが 私の虚空は変わらず同じだ―― その配慮は流れ続け、 その愛は流れ続ける。 <愛する人>はいない! 私には愛するか愛さないかを 選ぶことはできない。 もしできるとしたら、 そのときは<私>がいることになる。  関係はあなたの側にある。 そしてずっとあり続けるだろう。 あなたが自らを明け渡さない限り・・・  従って、明け渡し、サレンダーとは 最大かつ最も深遠な <関係>でありながら また関係の終わりでもある。  もしあなたが自らを明け渡したら あなたは可能な限り最も深い <関係>に至ることになる。 しかしそれを越えると 関係は消える。  自らを明け渡したら あなたはもう<いなくなる>。 そしてマスターもまた <いたことがなかった>のだ。  二つの虚空は二つではありえない。 二つの虚空なる空間の真ん中に 線をひくことなどできはしない。 虚空のまわりに境界線など 引くことはできない。 二つの虚空が出会って一つとなる。 そしてそこには関係は存在しえない。 なぜなら関係が在るためには <二つ>が必要だからだ。  というわけで、 明け渡しの最後の瞬間には 可能な限り最高の <関係>が存在する。 最も深い最も親密な関係が <存在>する。 もちろんあなたの側でだ。 そして、次の瞬間、あなたが 自分を明け渡してしまった後では すべてが消え去る――  今やそこに マスターもなく弟子もない。 今ではマスターも弟子も ともに笑うことができる。 腹の底から大笑いできる。 一瞬前までそこにあった そのナンセンス全体を笑うのだ。 手助けしようという努力、 助けてもらおうという努力、 明け渡し、 明け渡ししまいとする エゴの絶え間ない苦闘、 さまざまな説明解釈、 さまざまな教え―― これら全体がバカらしくなる。 あなたの数限りないほど 多くの生がただの夢になる。  そして今こそあなたは笑えるのだ。 なぜならあなたはいつの瞬間でも 目覚めることができたのだから。 いつでも<光明>を 得ることができたのだから。 いつの生のどんな瞬間にでも その夢から出てくることが できたのだから・・・。  ひとたびあなたが この<光明>に達したら―― というのも明け渡しとは 『こちら側』の一つの観点に 過ぎないからだ。 『あちら側』の<光明>は 同じコインのもう一つの観点だ。 それは同じ扉―― あなたが入るときは、 その扉には「明け渡し」と書いてある。 が、あなたが中に入ってしまって、 振り返って見ると その扉には「光明」と書かれてある。 それは同じ扉だ。 一つの側から見れば それは入り口だが、 もう一つの側からは それは出口だ。  だからこそ、明け渡し、 サレンダー、サマルパンが これほどまでに強調されるのだ。 そしてその<関係>は 非常に複雑になる。 なぜならそこには片側だけの 関係しかないからだ。 もう一方の側の関係者は そこにはいない。  こういうわけで、 マスターに関してあなた方がする <ゲーム>のすべては すべてあなた方のゲームだ。 <あなた>が そのゲームをやっているのだ。 それは忍耐ゲーム―― 相手はただあなたのそのゲームを 見ているだけ。 あなたは戦術を変えたり、 あれやこれや、 いろんなやり方で試みる・・・が、 全く不必要にだ。 なぜなら、役に立つ唯一の努力は 明け渡しのための努力だからだ。 他の事はすべて 光明の瞬間に至るために あなたを用意させるもの。 あなたにあらゆる努力の そのバカらしさが見えるときは ただそれを落とすだけ。 たくさんの手法が使われるが、 それはあなた方をして 明け渡すほかないと 気づかせるのに役に立つだけだ。  それでもあなた方はゲームをする。 戦略を変え続ける。 エゴはあらゆる戦術を駆使する。 エゴにとってこれは 生死に関わる問題だ。 それはあなたを欺く。 それはあなたを絶えず欺き続ける。 それにまた、 エゴは完全な合理主義者だ。 エゴが欺くときは理由をつける。 あなたはエゴとは とても議論できない。 議論しようとしたところで 敗れるだけだ。 だからこそ、 至高の 信頼と誠意だけが 信頼する者だけが、 明け渡すことができる。 誠実な者だけが <実存>の頂き そのものに 至高の クライマックスに たどりつくことができる。 OSHO「マイウェイ」より


 
 
 

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