すべての緊張の原因
- Manish Nukii
- 2016年9月2日
- 読了時間: 2分

すべての緊張の本来の原因は
『なること』にある。
人はいつも何かになろうとしており、
そのままの自分自身に
くつろいでいる人はいない。
今あるままでは
受け容れられず、拒絶される。
そして何か別のものが、
なるべき理想とされる。
だから根本的な緊張はいつでも、
ありのままのあなたと、
そうなりたいものとの間にある。
あなたは何かになりたいと望む。
緊張とは、そのままの自分に
満足していないこと、
そうでない自分になるのを望むことだ。
緊張は、この二つのあいだに生じる。
何になりたいかは関係ない。
裕福に、有名に、
強く健康になりたいとしても、
あるいは、
自由や解放、
神性や不死を求めるとしても、
たとえ救済やモクシャを望もうとも、
やはりそこには緊張があるだろう。
『今あるあなた』に反し、
未来に実現されることとして
望まれるものは、何であれ緊張を生み出す。
理想が不可能であるほど、
それだけ多くの緊張があるに違いない。
それで物質主義者のような人は
普通は宗教的な人ほど緊張していない。
宗教的な人たちは不可能を、
遥か彼方を望んでいるからだ。
その距離はきわめて大きく、
大きな緊張でしか
その断絶を埋められない。
緊張とは、
今あるあなたと
そうなりたいあなたとの間の
断絶を意味する。
その断然が大きければ
大きいほど、緊張も大きい。
断絶が小さいなら、
緊張も小さい。
そして断絶が全くなければ、
あなたはそのままの自分に
満足しているということだ。
言い換えれば、
今のあなたより他には
望んでいないということだ。
そのとき、あなたの心は
『瞬間』に存在する。
緊張となるものは何もなく、
自分自身にくつろいでいる。
あなたはタオの中にある。
私にとっては
断絶がなければ、
あなたは宗教的であり、
ダルマの中にいる。
断絶には多くの層がある。
望みが肉体的なものだとしたら、
緊張も肉体的だ。
あなたが格別な身体や
特定の姿を求めるとき――
肉体レベルで今の自分より
別の何かを望むなら――
フィジカル体に緊張がある。
「もっと美しくなりたい」
すると、身体は緊張する。
この緊張は第一身体、
生理的身体で始まる。
だがそれが執拗で、
絶えず続くようなら、
さらに深く入って、
存在の別の層へ
広がるかもしれない。
もしサイキック・パワーを望むなら、
その緊張レベルは
サイキックレベルで始まり、
広がっていく。
その広がり方は、ちょうど湖に
石を投げたときのようだ。
それは特定の場所に落ちるが
生み出された振動は
無限に広がり続ける。
だから緊張は七つの身体の
どれからでも生じるが
本来の原因は常に同じだ。
今ある状態と
望まれる状態の間の
断絶だ。
OSHO「秘教の心理学」
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