裁かないとき、愛がある
- Manish Nukii
- 2016年11月7日
- 読了時間: 4分


「裁かないとき、愛がある」
イエスは言う、「汝、裁くなかれ」と。 宗教心はどんな裁きも、どんな批判もしない。 だからこそ愛することができる。
覚えておきなさい。 あなたの生についてもそうだ。 あなたは裁かないときだけ愛することができる。
そして押しつけられた人は誰であれ、 あなたの「愛」とやらの犠牲になる。 あなたは自分の観念をその人に押し続ける。 子供はが生まれたときでさえ、 すぐその子にとびつき、 操縦し、支配し、改善しはじめる。 そしてその生命をだいなしにする。 そうやって誰もが親や社会によって破壊されてきた。 女性に恋したら、 あなたはただちに彼女をあるべき姿に改良しはじめる。 そしてその女性も、もちろん、大変な改良主義者だ。 もし女性の愛の犠牲になったら、 そのときにはあなたはもういなくなる。 そのときには、彼女はあなたを改良しすぎるあまり、 あなたから別人を創り出す。 二、三年後には、あなたは自分が誰か気づくこともできない。 彼女は切り、刈り、塗り・・・さまざまなことをする。
「こういうふうにふるまいなさい」 「こういうふうにしゃべりなさい」 「こいうふうに何々しなさい」 ある若い女性がある男に恋をした。 女性はカトリック教徒で、男性はユダヤ教徒だった。 その女性の家族はいたく心配して、 「私たちはおまえを許せない」と言った。 その家族は大金持ちだった。 彼らは「もし男と結婚したら、
おまえはビタ一文相続できないぞ」と言った。 彼女は一人っ子だったので、
全財産は彼女のものだったのに――。 さて、これはたまらない。 そこで彼女は「どうすればいいの?」と尋ねた。 「まず彼を改宗させなさい。 彼をカトリック教徒にしなさい。 そうすれば・・・」 そこで彼女はやってみた。 そしてとてもうれしくなった。 そのユダヤ人は女より金の方に興味があったので、 喜んで従ったからだ。 ユダヤ人はユダヤ人だ。 彼は非常に乗り気だった。 彼は聖書を読み返し、教会へ行きはじめた。 そして彼は狂信的になった。 その女性はとてもうれしくなった。 ことはすっかりうまく進んでいた。 そして毎月、彼女は両親に、 事態は完全にうまくいっていると報告したものだった。 ところがある日、彼女は家に帰ってくると泣き叫んでいた。 父親が尋ねた、
「どんしたんだい?何があったのかね?」 彼女はその男に結婚してくれるよう頼みに行った。 彼には用意ができていると思っていたのだ。 彼女は父親に言った。
「そう、彼には用意ができているわ。 でも私は改革をしすぎたの。 私は彼を改宗させしすぎたのよ」 父親はとまどって、言った。 「私にはわからない。 いったいどういうことだい、
やりすぎたっていうのは?」 彼女は答えた。 「ええ、彼ったら今度はカトリックの
お坊さんになりたがっているの。 私はやりすぎてしまったのよ」 あなた方のいわゆる「愛」は、多かれ少なかれ、 他者を改革している。 あなた方は愛しているからその人を 改革したいのだと言い続ける。 それはまったく偽りだ。 もしあなたが愛したら、 あなたは決して誰も改革しない。
愛は受け入れる。 愛は他者をあるがままに尊重する。 世界があるがままでオーケーになったら、 そのとき初めてあなたは
世界を愛することができる。 革命家、政治家は世界を愛することができない。 ただ宗教的な意識だけが 世界を愛することができる。 そして 愛するとき、あなたは以前に考えていた以上に、 世界がオーケーだと知るに至る。 そうなったらあなたはもっと愛する。
そして 世界がオーケーであるだけでなく、 途方もなく美しいということを見出すに至る。 そうなったら、 ますます愛するようになる・・・。 そして次第に あなたは世界が消えていくのを見出す。 それは神そのものだ・・・。
OSHO
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