拒絶は不安であり、受容は平安だ
- Manish Nukii
- 2017年1月8日
- 読了時間: 2分

Love いつまであなたは自分のエネルギーを 眠らせておくのだろう? いつまで自分自身というものの広大さを 忘れほうけているつもりだろう? 葛藤に時間を浪費しないこと。 疑いに時間を割かないこと。 時は決して取り戻せない。 そして、ひとつの機会を逃したら、 次の機会がめぐってくるまでには 幾多の生を待たなければ ならないかもしれないのだ。 Love あなたの手紙を受け取った。 心、マインドを鎮めようとする 混乱の渦に巻き込まれないこと。 これはそれ自体、落ち着かない状態だ。 マインドは現にあるとおりのものだ。 それを受け容れるがいい。 この受容が平和をもたらす。 拒絶は不安であり、 受容は平安だ。 そして、 全面的な受容に達した者は 神に到達する。 これより他に道はない。 これをよく理解しなさい。 この理解が受容を<もたらす>からだ。 受容というものが意志の力で やって来ることはありえない。 意志による行為は それ自体、非受容的なものだ。 「自分がやる」の陰には 非受容がある。 というのも 意志は常に自我、エゴから来るからだ。 拒絶によって養われない限り、 自我、エゴは生きていけないのだ。 受容は決して、 行為によってもたらせれえない。 生の理解だけがそれをもたらしうる。 ごらん、 生を見てごらん。 在るものは<在る>。 それはあるべくして在る。 ものごとはそのようにしてあるのだ。 それ以外であることを 求めてはならない。 たとえあなたがそう望んだとしても それ以外ではありえないのだから―― 欲望は全く無力だ。 ああ、欲望がなかったら、 落ち着きのなさなどありえようか? Love 探求せよ、探求せよ、探求せよ。 最後には探求者が消滅するほどに―― そこであなたは神に会う。 <自分>が失われたところ、 そこに<神>がいる。 今も、そしてこれまでも、 その間にいかなる壁もあったためしはない。 <自分を>を除いては―― OSHO
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