

意識consciousness、観照 witnessing、 覚醒awareness
覚醒と観照の違いは大きい。 観照というのは依然として行為だ。 <あなた>が観照している。 そこにはエゴ、自我がある。 だから、観照という現象は 主体と客体に分裂している。 観照は主体と客体の関係だ。 覚醒にはいかなる主体性も客体性もない。 覚醒においては、...


生は常に、今ここ
休息が至高のゴールであり、 仕事はそこに至る手段に過ぎない。 努力からの完全なる自由を伴う 全面的なリラクゼーションこそ 至高のゴールなのだ。 そうしたとき、生はひとつの戯れとなる。 そしてそうなれば努力すらも 戯れとなる。 あらゆる文明は そのような戯れから生まれた。...


祝祭 Celebration
祝祭こそ私の教えのすべてだ。 礼拝ではなく祝祭だ。 礼拝するとき、 あなたはヒエラルキー、階層を、 高いものと低いものをつくりだす。 礼拝するとき、 何かが神聖なものになり、 何かが世俗的なものになる・・・。 あなたの一部が邪悪なものになり、 一部が神聖なものになり、...


瞑想と観照の関係
人間の生活は四つの円に分割できる。 最初の円は活動のそれ、 行為の世界だ。 それは最も外側にある。 ちょっと内側に進むと、 私たちは思考の世界へとやってくる。 もう少し内側に進むと、 感情、献身、愛の世界へとやってくる。 さらに内側に進むと、 中心に到達する ―...


思考は止められない
思考は止められない。 思考は止まらないわけではない。 けれども止めることはできない。 それはひとりでに止まる。 この違いを理解しなくてはならない。 でなければ、あなたは 自分のマインドを追いつづけ、 気が狂ってしまう。 ノーマインドとは、 考えをストップすることで...


対極
生には二つの対極がある ― それは瞑想と愛だ。 これが、究極の極性だ 生はすべて対極から成り立っている。 ― 陽性と陰性、誕生と死、男と女、 昼と夜、夏と冬から。 生はすべて対極から 成り立っているが、 これらの対極は単に対極ではなく、 それらはまた相補うものでもある。...


内側と外側の調和
私の家族にいい歳の叔父がいる。 彼は商売肌ではなく、生まれながらの詩人だ。 でも、詩ではお金を稼げないし、 詩ではおな腹を満たせない。 それに家族全員が商売をしているから、 学業を修めて大学から戻ると、 彼は当然のように商売に加わらないかと誘われた。...